柿内賢信記念賞選考委員会
(委員長)夏目賢一
隠岐さや香
坂田文彦
直江清隆
平田光司
三上直之
(五十音順)
【選考結果】
特別賞 70万円
特定非営利活動法人 市民科学研究室
科学的専門性を取り込んでの市民調査の組織化、食育や健康対策に有効な新手法の開発
奨励賞 40万円
明治学院大学 社会学部 非常勤講師 二階堂祐子
生きられる障害と出生前に検出される障害――出生前検査の社会的倫理的課題に関する研究
実践賞 40万円
北陸先端科学技術大学院大学 知識科学系・知識マネジメント領域 准教授 伊藤泰信
医療者と人文社会科学系の協働実践――医学教育カリキュラム改訂の事例から
【選考を振り返って】
本年度の柿内賢信記念賞からは、応募締め切りが1か月早まり、さらに受賞者が事前に発表されることになりました。その理由は、昨年度に特別賞が新設されてその受賞者に年次大会での記念講演が求められるようになったため、プログラム調整の期間に余裕を持たせるとともに、事前発表することでなるべく多くの方にご来場を検討いただきやすいようにするためです。応募締め切りが早まったことで応募者の減少も懸念しておりましたが、本年度の応募者ならびに被推薦者数は17名で、そのうち特別賞1名(団体)、奨励賞9名、実践賞7名でした。これは昨年を上回る応募者数であり、これまで同様に十分に質の高い審査を行うことができました。なお、本年度から特別賞の対象を「個人」から「個人またはグループ・組織」へと広げました。本年度の特別賞受賞者にはこの変更が活かされる形で団体が選ばれています。もちろん、本年度の特別賞として最初から個人より団体が想定されていたわけではありませんが、この対象を広げるという判断によって結果的に本記念賞の可能性を広げられたことは良いことだったと考えています。
なお、本記念賞は研究助成金としては競争率が高いと言えます。今回やむなく不採択となった応募者にも質の高い研究・実践活動を進められている方は多く、このことは応募者には申し訳なく思います。しかし、高い競争率を保つことが記念賞としての質を維持し、向上していくことにつながりますので、ご理解いただけましたら幸いです。ぜひ皆様におかれましては、今後とも積極的な応募や勧誘にご協力いただけましたら助かります。よろしくお願い申し上げます。
【選評】
特別賞 市民科学研究室
科学的専門性を取り込んでの市民調査の組織化、食育や健康対策に有効な新手法の開発
NPO法人・市民科学研究室は、科学技術社会論(STS)の対象になっている多様な問題領域において、とくに「リビングサイエンス(生活を基点にした科学)」と「市民科学(市民の、市民による、市民のための科学)」という二つの理念に基づいてさまざまな実践活動を展開してきました。それらの活動は、日本でSTSが展開され始めた時期と同じ1992年に始まり、2005年のNPO法人化を経てますます充実しています。活動の中心は、これまで通算350回にわたって開催されてきた「市民科学講座」と、187号を発行してきた『市民研通信』であり、さらにその知見の専門的な確かさを支えてきた各種の「研究会」です。「市民科学講座」では専門家を招いたシンポジウムや独自の調査活動の成果発表などが行われ、『市民研通信』では各種の記事論文が編集・掲載されてウェブページでは無償公開されています。また、「研究会」では「科学館」「宇宙開発」「科学技術評価」「ナノテク」「電磁波」「生命操作・未来身体」「食」「科学コミュニケーションツール」「低線量被曝」「住環境」「市民と防災」「Bending Science」など多岐にわたるテーマの調査・研究・開発プロジェクトが同時並行で組織され、それらの成果は社会的にも幅広く活用されてきました。これら生活者の視点から科学技術をとらえ直すという一貫した基本姿勢とその活動実績が認められ、市民の問題関心・懸念・ニーズを踏まえたSTS的な問題の解決に向けて、地域コミュニティや市民団体はもちろん大学や企業との連携も進められています。消費者、医療、環境、平和など類似のテーマに取り組む他の団体は少なくありませんが、生活を基点とした参加型の市民科学というSTS的な観点をここまで幅広く実現してきた市民科学研究室の活動実績は日本において極めて顕著であり、特別賞にふさわしいと評価されました。
奨励賞 二階堂祐子
生きられる障害と出生前に検出される障害――出生前検査の社会的倫理的課題に関する研究
本研究は出生前検査における社会的倫理的な議論に新たな分析概念を与え、その概念枠組みの検証を精緻化しようとするものです。出生前検査では障害についての価値判断の対象とされる胎児にはまだ自我は生まれていません。申請者は、まずここに個人の経験や自我から切り離された「浮遊する障害」という概念を与えます。その一方で、障害者が成長後に出生前検査について考える場合には、「かつて胎児だった私」が個人の経験において回顧的に想起され意味づけられることになります。申請者はここに「遡行される障害」という概念を与えて前者と区別します。このような障害者の語りに注目することで新たな分析概念を導入して理解を深めようとする問題設定は、学術的な独創性を高く評価できます。その一方で、本研究は博士論文として合格しているとはいえ十分に国際的検証を経ているわけではなく、申請者自身がその必要性を自覚する通りです。これまでの研究成果は、主に既存資料の言説分析とインタビュー調査の分析によって得られたものであり、今後の研究計画も差し当たりこの研究方法を継続するとともに国際的検証を進めようとするものです。そのため、さらに大きな研究成果へと発展していく可能性としては不確実なところが大きいように思えます。しかし、その懸念はあっても将来的に科学技術社会論分野に貢献していく大きな期待を感じさせるものであり、その一方で現在は科研費等の対象にはなりにくい段階にあるとも考えられたため、本奨励賞で助成する意義が大きいと評価されました。
実践賞 伊藤泰信
医療者と人文社会科学系の協働実践――医学教育カリキュラム改訂の事例から
高齢化が進む日本社会では、従来の急性疾患に対して、在宅・地域医療などでの慢性疾患への対応がますます求められるようになっています。申請者は、このような現状に対して医療の質を向上させていくためには患者の生活そのものへの深い配慮が求められ、そのためには人文社会科学系の知見をいかに活用していくかが問われるようになると考えます。本研究はこの人文社会科学(とくに文化人類学と社会学)の知見を医学教育のカリキュラムに組み込んでいく実践活動であり、それらの関係者の協働によって進められるものです。この取り組みは日本の医学教育において画期的な試みと考えられ、最近ようやくそれが実現される運びとなりました。この目的とするところを今後の医学教育にどこまで反映できるかは、ここ数年の努力にかかっています。聞き取り調査などを踏まえてどのように教材を改善していくのか、それをどこまで科学技術社会論として深い内容へと発展させていけるのか、今後の計画にはいくぶん具体性に欠けるところもあります。しかし、本課題が質的に新しい試みであることを考慮すると、ある程度の不明瞭さは避けられないところでしょう。医師、患者、看護師などへのインタビューや参与観察から、医学教育に欠けていて必要とされる人文社会科学的な知見について分析・提言する、ということであれば、その方針は十分に理解できます。本研究課題は他の研究助成制度があまり対象としていないテーマでしょうし、科学技術社会論の社会的な実践可能性を押し広げてくれることにも期待して、実践賞に相応しいと評価されました。