柿内賢信記念賞選考委員会
(委員長)夏目賢一
隠岐さや香
坂田文彦
標葉隆馬
柴田清
直江清隆
平田光司
(五十音順)
【選考結果】
特別賞 70万円
東京大学、国際基督教大学 名誉教授 村上陽一郎
日本の科学技術社会論分野の成立に果たした先駆的かつ総合的な貢献に対して
奨励賞 45万円
東京工業大学大学院 社会理工学研究科 博士課程 Vicencio Eliana
1981年の新自由主義的改革がチリの大学における天文学の発展に与えた影響の研究
実践賞 35万円
内田麻理香
科学技術の民主化に向けた科学技術コミュニケーションの研究
【選考を振り返って】
本年度は、まったく新しい賞として特別賞が設けられました。これまでの優秀賞は今後の研究計画に対する研究助成でしたが、いずれは科学技術社会論分野への過去の貢献実績に対して授与される賞へと転換することが期待されてきました。そして、科学技術社会論学会が設立されて15年が経過し、本記念賞ができて10年以上が経過しますので、この分野の研究実績も蓄積が進んだと判断され、このたび優秀賞を廃止するとともに、そのような趣旨の賞として特別賞が新設されることになりました。
このように賞の趣旨が大きく変わったため、特別賞では他薦が認められるなど、応募の要領・形式はこれまでとはまったく異なるものになっています。ただし、この特別賞でも従来の賞と同じく学会などの組織運営への貢献は評価対象とせず、あくまで科学技術社会論そのものへの貢献を評価対象としています。科学技術社会論には学際的な研究はもちろん、実践的な活動まで幅広く含まれているため、その評価基準にもさまざまな意見があると思います。その中で、今回の特別賞については、選考委員会としても他の選択が具体的に想定しがたい、きわめて順当な判断ができたと思います。
その一方で、奨励賞と実践賞については複数の候補者で評価が拮抗しました。そのため、議論を深めて問題点を抽出し、それを踏まえて評価基準を細分化して再審査をおこなうことで慎重な選考を重ねました。そこには、先行研究にもきちんと配慮した科学技術社会論としての新規性や、研究計画の具体性、そして奨励賞においては今後の展開への期待、実践賞においては学術研究にとどまらない実践賞としての適切さなど、さまざまな評価の観点がありました。このように十分に分析的に選考を進めましたので、今回の奨励賞と実践賞の受賞者についても、選考委員会として十分に納得のいく公正な判断ができたと思います。
本年度の応募者ならびに被推薦者数は13名で、そのうち特別賞1名、奨励賞8名、実践賞4名でした。本賞を研究助成金と考えると必ずしも採択率が高いとは言えないでしょうが、このような学術賞の存在は、学術分野をよりよく発展させていくための議論を喚起し、方向性を占っていくための重要な機会になると思います。落選した場合にも複数年度にわたる応募は可能ですし、ぜひご自身の応募はもちろん、知人や関係各所への宣伝など、今後ともこの科学技術社会論・柿内賢信記念賞を積極的にご支援いただけましたら幸いです。
【選評】
特別賞 村上陽一郎
日本の科学技術社会論分野の成立に果たした先駆的かつ総合的な貢献に対して
村上陽一郎氏は、科学技術社会論が萌芽的であった段階から、その中心にあって幅広い貢献を重ねられてこられました。まず、1970-80年代において、後に科学技術社会論と称される分野の論点と親和的であり、その分野の研究を先導するような、科学史、科学哲学、科学社会学などの著書・論文・翻訳書を数多く発表されました。そこで批判的に展開された科学的合理性の多元性、科学者の社会的責任、生命倫理などのテーマは、1990年代になって『文明の中の科学』や『科学者とは何か』などの著書へと結実するとともに、科学者・技術者の倫理など、科学技術社会論分野の成立過程で大きな注目を集めたテーマの論考に直接的かつ多大な影響を与えました。また、1990年代後半には、医療や工学的なリスク、安全・安心といった現代社会の課題に対して「安全学」を展開され、価値という社会的な観点から考察を深められました。村上氏はSociology of Sciences, A Yearbookの編集委員などを通じて、国際的にも科学技術社会論の展開に貢献されています。これら村上氏の業績は、科学技術社会論分野の研究者だけでなく、一般社会のさまざまな立場の人々に科学技術と社会の問題に対する分析枠組みを示し、実践の場に対しても議論のための共通の土壌を形成してきました。これら村上氏の貢献は、この分野の研究や実践活動に貢献してきた方々の中でも極めて顕著であり、このたびの特別賞にふさわしいと評価されました。
奨励賞 Vicencio Eliana
1981年の新自由主義的改革がチリの大学における天文学の発展に与えた影響の研究
新自由主義と大学との関係は時事性の高いテーマであり、その事例研究は喫緊の研究課題と言えます。この傾向は世界的に拡大していると考えられますが、とくに南米はその社会実験が一足先に進んだ地域として注目されています。科学が社会から影響を受ける典型例の一つが教育政策であり、STS研究としても重要な知見を得られる可能性は高いでしょう。いわゆる教育史分野では理工系の研究が十分に扱われず、大学一般の議論へと飛躍する傾向があるため、STS分野で授賞することに意味があると判断しました。チリと天文学という研究対象の選択も十分に理解できますし、日本との比較が進められれば日本のSTS研究への波及効果も期待でき、得られる知見の発展可能性・分野横断性は大きいでしょう。なお、今回の研究助成による現地調査では本研究をどこまで深められるのか疑問も残りました。また、研究結果もある程度予測できるようにも考えられるため、研究の遂行にはあらためて工夫を期待したいと思います。ただ、受賞者はすでにインタビューを試行し、論文発表も進めています。その研究の継続と更なる発展を支援するために今回の授賞としました。
実践賞 内田麻理香
科学技術の民主化に向けた科学技術コミュニケーションの研究
現在の科学コミュニケーションは関心の高い人々だけの内側にとどまっている可能性があり、そうであれば、その外側にいる、科学にあまり興味のない人々へのアプローチが課題となってきます。内田氏の研究は、このような問題意識に基づいて、より開かれたコミュニケーションのために新たなコミュニティを創出することで、科学技術の「文化」化や民主化を推し進めようとするものであり、創造的でユニークな試みと評価できます。実践によって得られた問題意識に基づく調査研究と、それを生かした実践との循環を作り出そうとすることは、実践賞にふさわしい提案でしょう。その一方で、研究計画とその具体的な成果については見通しが楽観的であるようにも思われました。活動には繊細なアプローチが必要となってくるでしょうが、提示された計画はいまだ抽象的であり、理論面においても先行研究が十分に踏まえられていない可能性が懸念されました。しかし、これまでの実績も合わせて今後の活躍の可能性を評価させていただき、その科学コミュニケーション分野へのインパクトに期待して、今回の授賞としました。