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投稿日 2009年8月1日

アジアにおける科学技術社会論(その1)

科学技術社会論学会会長 中島秀人

欧米では、1970年代からSTSの展開が見られた。東アジアでは、これに遅れて、20世紀の末から、研究分野としてのSTSが急速に発展してきた。この発展は、今後の国際協力を考える上で重要と思われるので、その概要を、2回にわったってご紹介したい。

東アジアの中で、日本でのSTSの立ち上がりは早い。1990年にSTS Network Japanが連絡団体として発足。1998年には、「科学技術と社会に関する国際会議」が東京・京都・広島で開催された(参加者総数372名、うち海外約130名)。これが、2001年の本・科学技術社会論学会の発足へとつながった。

日本でのこのような発展は、東アジア地域でのSTSに大きな影響を与えた。1996年には、韓国科学史学会・元会長・宋相庸先生(翰林大学)の尽力で、同国・太田市で、日本のSTS形成の体験を伝える企画が持たれた。また、1999年に米国サン・ディエゴで開催された国際社会学会(4S)では、日本と台湾の学者が偶然出会い、この交流が一つのきっかけとなって、台湾でSTSの組織化が急速に展開した。

国際交流として特筆すべきなのは、「東アジアSTSネットワーク」の活動である。同ネットワークは、表1のように、2000年よりほぼ毎年東アジア各地で会議を重ねている。本年6月19-20日には、台湾の台南・成功大学で第9回の会議が行われた。中国、韓国、台湾、日本から60名以上の研究者が参加し、多数の研究発表が行われた。この会議の第2日目の閉会式は、台湾のSTS学会の第1回年次大会の開会式をかねるという、記念すべきものであった。

「東アジアSTSネットワーク」の始まりは、北京・清華大学STS研究センター長の曽国屏教授が、本稿の執筆者、中島秀人に国際共同を申し入れたことに始まる。当初先方は、清華大学と、私の所属する東京工業大学の大学間協定に基づく研究交流を想定していた。しかし、以前からSTSについて交流があった韓国の宋相庸先生(前出)にご相談し、北京に集まって、東アジアのネットワーク化を進めることに話が展開した。2000年の最初の会合は、曽、宋、中島の3名の私的な集まりに、清華大学の院生などが加わるという、こぢんまりとしたものだった。ここでは、東アジアのSTSのネットワーク化に関する覚え書きが交わされた。

幸いにも、このように日中韓で小規模に始まったSTSの国際交流は、多くの方々のご賛同を頂いた。第2回のソウルの段階で既に会議は数十名規模となり、以後参加者はほぼ安定して増加している。主催者がまったくのボランティア・ベースで会議を開催するという、覚え書きに基づく「習慣」も確立した。現在でも、「東アジアSTSネットワーク」には公式の運営組織も規約もなく、どこか予算が取れた国や地域が、自発的に会議を開催するというスタイルが続いている。日本では、神戸大学国際文化学部の塚原東吾氏の研究資金にほとんどもっぱら依存している。その後の大きな展開は、2003年に台湾がネットワークに加わったことであるが、台湾の複雑な政治的地位もあり、ボランティア・ベースの開催方式は、東アジアの現状に見合った方式として受け入れられているようである。

次回は、東アジア各地域の学会組織と、台湾が主導してSpringer社から刊行が始まった英文の学術雑誌、East Asian STS Journalについてご紹介したい。

表1 東アジアSTSネットワーク会議
第1回 2000年 北京・清華大学
第2回 2001年 ソウル・延世大学
第3回 2002年 神戸・神戸大学
第4回 2003年 台北・台湾大学
第5回 2004年 ソウル・ソウル大学
第6回 2005年 瀋陽・東北大学
第7回 2007年 神戸・神戸大学
第8回 2008年 武漢・華中科技大学
第9回 2009年 台南・成功大学


科学技術社会論学会ニューズレター2009年度2号(2009年8月1日発行)より転載